李登輝台湾元総統死去

7月30日、台湾の李登輝元総統が97歳で死去した。

過去にダイヤモンドOnlineが李氏へインタビューした記事が哀悼を込めて再掲載されている。

【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(上)
「リーダーなき世界で日本は今、何を考えるべきか」


【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(下)
「日本に言い遺しておきたいことがある」


ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

李登輝

1995年、私は大学一年生の時の寮生活で、台湾人の女の子と仲の良い友達になった。

割と保守的な私とは対照的に彼女はファンキーで(音楽の趣味とかも対照的だった)ちょっとうらやましくも思った。彼女は日本の文化にも通だったし、西洋文化もエンジョイしていた。単独で渡米した私と違い、彼女の場合は伯父夫婦がペンシルベニア州に住んでいた。だから彼女は同じ州内の大学を選んだのだろう。

さて学期の途中でも春休みや感謝祭になると、アメリカ人の生徒たちはいっせいに帰宅するのだが、私たちのような留学生は行き場がない。(一応、寮は開いているが誰もいなくて暇だ)

そこで彼女の叔父さん夫婦のところへ春休みに一緒に行くことにした。よく覚えていないが、たぶん学校から出るバスに乗って伯父さん夫婦の家の近くのバス停で降りて、伯母さんが車で迎えに来てくれたはずだ。とにかく車の中で友達が「伯父は日本語ができるのよ」と教えてくれた。

その時、私の脳裏には「ああ!日本帝国統治下の教育!」と、耳をふさぎたくなった。とっても後ろめたい気がした。。。だって日本はアジアの国々に悪いことをしたと教わったからだ。

家に着いて、伯父さんが迎えてくれたけど、とても厳しい表情をした人だった。夕飯時も会話をしたが、とても厳しい感じの人で私は緊張した。いや、後ろめたさで緊張した。そこに友達と伯母さんが、困った私を見てクスクス笑っているではないか。

そうしたら伯母さんが、「あの人はいつもあんな感じなのよ」と教えてくれた。友達も「大丈夫、いつもこんな感じだから」と慰めてくれた。

数日滞在した後、学校に戻るため、伯父さん夫婦の家を去る日が来た。荷物をまとめ、伯母さんがまた車でバス停まで送ってくれる。

私は苦手な伯父さんに、「お世話になりました。ありがとうございます。」と、お礼を言って別れようとしたその時、「また来なさい」と日本語ではっきりと言って伯父さんが手を差し出した。私はハッとして固い握手をした。

あの時の感動は20年以上たった今でもしっかりと覚えている。
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