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2019-12

CIAに雇われた傭兵の話 - 2018.11.06 Tue

さて、アメリカに長年住んでいることもあり、色々な人と知り合う機会に恵まれました。
そんな中でも今回は特殊な話、CIAに雇われた傭兵のお話を紹介したいと思います。

よく、アメリカの陰謀論崇拝者たちは、
「軍に入るのは貧乏人だけで、アメリカやイスラエルに騙されて戦場に駆り出されている」
などと決めつけてますが、軍に入隊する理由は人それぞれです。

愛国心や家系的に入隊する人、
また、仕事も行き場もない人、学費がタダになるから入隊する大学生、
グリーンカードが欲しい外国人、と色々な人たちが集まります。

私が大学生の時、クロアチア人の留学生が「自国に帰れないから、軍に入るしかない」といって、
在学中、アメリカの軍に入隊しました。

あの頃、(1995年)クロアチアは独立直後で、国外に出た人はブラックリストに載ったらしく、
政府の監視の対象になり、再度国外に出ることは非常に難しかったそうです。
さらに、彼は奨学金の支援を政府から受けて米国に留学してますので、
政府からしてみれば彼はクロアチアの「資産」だったはずです。

さて、忘れてはならないのは、そんな寄せ集めの中に、
あえて「戦争に行きたい」理由で入隊する人もいます。

私の知人の「ガス・グリーヨ」さんもそんな一人でした。

このアルゼンチン生まれのグリーヨ氏はベトナム戦争中も最悪にして最強の部隊、
その名も「Search & Destroy」、見たものすべて破壊するような部隊に所属していたそうです。

ベトナムから帰還、今度は傭兵として紛争中のアフリカのアンゴラへ送られました。

本人曰く、「戦争だと罪のない人まで殺さないといけないけど、
傭兵だったら、ターゲットが決まっているからマシ」と言ってました。

ではここで、アンゴラ共和国の歴史を見てみましょう。

angola.png

アンゴラは1483年にポルトガル人が上陸して以来、ポルトガルの植民地であり、
1961年からアンゴラ独立戦争が始まり、1975年に独立を達成しました。
しかし独立後は2002年までの長い間、激しい内戦が続きました。

当時、世界は冷戦時代だったので、アンゴラの独立直後から、
キューバ(直接軍事介入)とソ連がアンゴラ解放人民運動 (MPLA)を支援し、
南アフリカ共和国(直接軍事介入)とアメリカはアンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA)を支援し、
さらに旧ザイール(直接軍事介入)とフランスはアンゴラ国民解放戦線 (FNLA)を支援し、
激しい内戦状態に陥りました。

ちなみに国連の推定によると、アンゴラ全土に残されている地雷は数百万発であり、世界一だそうです。
いかに内戦が激しかったか想像できると思います。地雷の数、世界ナンバーワン!

アンゴラ共和国についてはこちらをクリック

さて、ここまではウィキペディアで得れる情報ですが、
中国もアメリカと一緒に資金援助してますし、イギリスも傭兵を送ってます。

結局、早い時点で、旧ザイールや南アフリカ共和国はアンゴラから撤退しています。
そしてアンゴラは大きく軍事介入したキューバが残り、
支援したMPLAと激しく内戦にもつれ込んでいきます。

英国は3つの傭兵グループを別々にザイール(※)に送り、
そこからFNLAをサポートするために、北のアンゴラの国境を渡りました。
イギリス人10人、アメリカ人3人で結成された傭兵部隊。
そしてこの傭兵部隊にアメリカ人の一人としてグリーヨ氏は潜入していたのです。

※ザイールは現在のコンゴ民主共和国(旧ベルギー領土)。
隣の旧フランス領土だったコンゴ共和国とは別です。

map_africa.jpg

さて、国が表向きに直接軍事介入できない場合は裏で傭兵を送るのが一般的です。
現在の内戦が長く続くシリアだってそうです。
つまり、傭兵とは個人的に金銭や報酬などの利益により雇われ、
直接に利害関係の無い戦争に参加する兵またはその集団です。
最近は、民間軍事会社※のような新しい形態の傭兵も登場しています。

※民間軍事会社とは、直接戦闘、要人警護や施設、車列などの警備、軍事教育、兵站などの
軍事的サービスを行う企業であり、新しい形態の傭兵組織である。(ウィキペディア)

バチカンの警備だってスイスの傭兵です。

swiss_guard.png

さて、時代は1976年、北部アンゴラ。
FNLA率いるグリーヨ氏を乗せた12台のトラックが
キューバ軍の伏兵にアンブッシュ(待ち伏せ)攻撃を食らい、ほぼ全滅しました。

グリーヨ氏は後尾のトラックに乗っていたため、片足の付け根から膝まで機関銃で撃たれても、
とっさにトラックから転げ降り、這って茂みに隠れたそうです。

一部始終を茂みの中から見守るグリーヨ氏。
「このまま、茂みに隠れてどうする?どうせ死ぬ運命」と思ったそうです。
たしかにこのままでは、敵が去っても、傷口から足が腐って死ぬ運命。
一か八かで、茂みから這い出たそうです。

キューバ軍に銃口を向けられグリーヨ氏がとっさにスペイン語で言った言葉は、

「俺はアルゼンチン人だ。お前らはキューバ人だろう。忘れたのか!
お前たちキューバ人は偉大な Comandante(チェ・ゲバラの別名)と共に戦ったのを!」

それを聞いたキューバ軍は、グリーヨ氏を殺さず、
捕虜として他の生き残り数人と共に連れて行ったそうです。
(よくもまあ、絶体絶命ピンチにそんな事が瞬時に思いつくなぁ、と感心)

ちなみによくヨーロッパでは「チェ」のTシャツなんか着てる人いますが
キューバ系の多いマイアミでは絶対やめてくださいね。危ないですから。
いつか機会があれば、アメリカに住むキューバ人のことも書きたいと思います。

さて、戦争犯罪者として、捕まった合計13人の傭兵の裁判(ルアンダ裁判)が始まりました。
13人のうち、16年の実刑判決3人、24年の実刑判決3人、30年の実刑判決3人、
残り4人は死刑を宣告されました。

angola2.jpg

グリーヨ氏は死刑を免れ30年の実刑判決。
それはグリーヨ氏が、
「俺たちは新札で支払われ、アメリカ製の武器を持たされたんだ。
俺たちの雇い先はCIAに決まっているだろう、アンゴラ北部にCIAが潜入してる」と証言したからです。
生かす価値があったのでしょう。(実際そうだったみたいです)グリーヨ氏は当時27歳でした。

1982年にはアメリカ政府の交渉の末、囚人の交換(スワッピング)でグリーヨ氏と、
もう一人のアメリカ人の傭兵は帰国しました。
(イギリス人傭兵捕虜は1984年に交渉の末、英国に帰国してます)
ちなみにグリーヨ氏1人に対してアメリカ政府は囚人3人釈放しなくてはいけなかったそうです。

angola5.jpg

グリーヨ氏は帰国後インタビューにこう答えました。
「この6年間を5分のインタビューでは語れない」

今回は、自分からわざわざ戦場に行くことを希望する人たちがこの世にはいる
ということを知ってもらいたく、グリーヨ氏の話をシェアしました。
自分の人生に対する価値観が違うだけです。
どちらが正しいとか悪いとか、関係ないと思います。

わたしは2007年にグリーヨ氏と知り合いましたが、とても面白い方です。
見かけはとても普通な方ですから(足のケガ以外は)
傭兵だったとは言われるまでわかりません。


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆

今日の一言英単語

『Mercenary』 マーセナリー

傭兵。


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プロフィール

政治マニアっ子 (AI)

Author:政治マニアっ子 (AI)
埼玉県生まれ。高校留学を経て、ペンシルバニア州にある州立大学卒業後、ニューヨークに移動、バイヤーの職に就く。9.11テロ事件後、犬のブリーダー(シェパード)トレーナーとして起業の道を歩む。渡米歴20年以上。趣味は映画鑑賞、読書。特技は犬の心理を読むこと。語学は英語の他にスペイン語も。自分が本当に伝えたいことを伝えるブロガー。電子書籍も好評です。

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